協力隊が任国で病気になるとこうなる。

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早いもので協力隊の任期も残り1週間となってしまいました。

2年間あっという間だったな。

2年前の今頃は何してたかなと思って、記憶をたぐり寄せてると…

まだ会ったこともない先輩隊員から注意されてました。

連絡が遅い!!って。

派遣前訓練終了後に足の靭帯を切って手術をすることになった僕は、派遣時期が変更になってしまいました。

そして、手術したりリハビリしたりAmazonで派遣やったりで2年前の今ぐらい。

夜中に件の先輩からLINE。

いつエジプトに来るんだと。

こっちはみんな待ってんだぞと、先輩。

すみません。4次隊で行けると思うけど、まだ事務局から連絡がないのではっきりわかりませんと、僕。

そんなこんなで上の画像。

その後無事エジプトに来ることができて、この先輩には事あるごとに「僕あなたのこと苦手です!」ってよく言ってたけど、今思えば僕が苦手意識持ったのって、この件があったからな気がする。

派遣前から先輩隊員に注意される隊員もそうそういないんじゃないかな。

ちなみにその先輩は苦手だけど、嫌いじゃありません。

同じ職種だったし、先輩の活動は素晴らしいなと思ってたし、考えていることとかはなんとなくわかることも多かったので、よく話をしてました。

「先輩が帰るときには、ぜったい僕泣いちゃいます。」なんて言うくらいには仲よかったと思います。

まぁ、結局泣けませんでしたけど。笑

実は、ちょうど一週間前にこの先輩と電話してて、そのときブログ書きなよって言われたので今回書こうと思ったわけです。

そんなエピソードもありつつ、エジプトに来て約2年間が経ち、

今では僕が一番古い現役隊員になってしまいました。

僕が帰るときには後輩隊員は泣いてくれるんだろうか。笑

そうそう。

帰るといえば、去年の10月から約3か月、日本に帰ってました

ええ、タイトルにあるように病気になっちゃんたんですね。

大変でした。

ざっくり書くとこんな感じです。

お腹痛い。

病院いく。検査する。

先生 「これはヤバい。すぐに手術しましょう。」

処置室に連れてかれる。

僕 「ちょ、待って!JICAに連絡させて!!」

先生 「待てって?しょうがないな。じゃあひとまず明日入院、明後日手術で予定入れとくから。」

JICAに連絡する

調整員 「検査結果を日本に送って判断してもらいます。」

検査結果日本に送る。

ここまで1日

翌日

JICA本部 「これはヤバい。日本で手術しましょう。」

調整員 「今日のお昼には入院だけど、いちおう帰国準備しといてね。」

2時間で荷物まとめる。

入院。

先生 「とりあえず抗生物質で症状抑えっから。ほんとはすぐ手術したほうがいいけど。」

JICA本部 「症状収まったら日本に帰ってもらいます。」

このとき、「このまま任短になったら残ってる荷物の処分はJICAに一任します。」って署名させられました。

こわっ!!

入院中は特にやることもなくひたすらベッドで寝ていました。

まぁこんなときは人間嫌な想像をしてしまうもんで、帰りの飛行機でめっちゃ体調悪くなったらどうしようとか、手術こわいなとか、任期中帰国するつもりなかったのになとか、このまま任短になっちゃうのかなとか、そういえば冷蔵庫に食いかけ入れっぱなしだなとか、ひたすらネガティブブルーな感じでした。

そういえば、このときネットで協力隊で病気になって一時帰国した人の話探してたけど、全然ヒットしなかったな。

やっぱり外国で病気になって入院するって不安になるもんです。

もちろん日本でもそうかもしれないけど。

そんな中、調整員さんが毎日お見舞いに来てくれたのが、地味にありがたかったです。

何話したかはそんなに覚えてないけど、人と話すことで結構気がまぎれました。

約1週間入院して、症状も落ち着き日本へ。

保険が利いたので、医療搬送(?)みたいなのになってお医者さんが付き添いで一緒に付き添いをしてくれました。

エジプト人とフランス人のお医者さん。

途中まではエジプト人、その後フランスで交代してからはフランス人がずっと付き添ってくれました。

エジプト〜フランス〜韓国〜福岡で約30時間。

ひたすら寝る。

と言っても病院でも寝てばかりだったので寝れない。

ふと横のお医者さんを見るとお酒飲んでる。

もし俺が何かあったときはこの酒飲んでるおじさんに助けてもらうんだなと思いつつも、体調もひとまず落ち着いていたので、iPad miniに入れた動画をひたすら見てました。

AmazonPrime有能

そんなこんなで日本到着。

久しぶりの日本。

夜9時くらいに日本に到着したけど、暗すぎて静かすぎて日本って人住んでねーんじゃねーの?と思いましたが、よく考えたら佐賀が田舎なのでそりゃ人いねーわって感じでした。

10時ごろ実家到着。

まさか実家までお医者さん付いてくるとは・・・

いきなりフランス人と一緒に帰ってきた息子を見て家族はどう思ったんだろう。

フランス人のお医者さんは翌日のフライトでフランスに帰るって言ってました。

移動中特に何かしてたわけじゃないけど大変そうでした。ありがとう。

そして両親との感動の再会もそこそこに家に入ると…

クサっ!!!!

え、なにこのにおい?醤油?味噌?なんかクサっ!!!!!!

日本は醤油味噌くさい国です。

とまあこんな感じで帰国しました。

僕の場合は、首都隊員だったこともありすぐに病院へ受診できたり、対処できる病気だったので運が良かったと思います。

もし地方に住んでたらと思うと……ゾッとしますね

ほかの隊員のみなさんは怪我や病気にはならないようくれぐれもお気をつけください。

さて、ここから長い長い日本生活が始まるわけですが、それはまた別の機会に。

おわり

案の定エジプトに戻ってきたら冷蔵庫の食べ物は腐ってました。クサっ!!!

コメント

  1. しゅわわ より:

    久々のブログ、大変読みごたえがありました☆

    そして冒頭の某先輩隊員のライン。
    かすかに脳裏に残る記憶が蘇ったけど、めちゃめちゃ横柄な先輩隊員だね。
    しかもまだ会ってもないのに。
    なんだコイツ!と思って笑っちゃいました。

    僕もこういうタイプは苦手ですね。

    • シハーブ より:

      コメントありがとうございます!

      喉元過ぎれば…というやつでしょうか。
      今となってはいい思い出として感じられるのが不思議です。笑